続・バルザックの古い訳と新しい訳
  ――バルザック「グランド・ブルテーシュ綺(奇)譚」

ロワール河のほとりを、ヴァンドームから百歩ばかり先に行ったところに」と、彼は言った。「非常に高い屋根の、褐色をした一軒の古い家がありますが、その家は完全にほかから孤立していて、周囲に、あなた方も目にするような、小さな街の周辺にはほとんどどこにでもある、嫌な臭いのする鞣皮工場もみすぼらしい宿屋も、まったくありません。〉(引用箇所①番、訳者C)

家が〈ほかから孤立してい〉るという表現は、〈ただ一軒ぽつんと立っている〉(水野訳)とか〈まったくの一軒家で〉(宮下訳)に比べると、大仰で不自然な感じがします。そのあとの〈周囲に〉が掛かるのは〈どこにでもある〉ではなく、〈まったくありません。〉で、離れ過ぎています。前の拙文に引用した訳は両者とも2文に分かれていたのに、この訳は地の文で句点を入れて一息ついていますが、話者の言葉自体は1文でつづきます。長過ぎてすっきりしない訳文です。語りの口調を出しているともいえますが、吞み込みにくい日本語では困ります。

 実はこの訳が発表される以前に、次のような翻訳も刊行されていました。
ヴァンドームを出てしばらく行ったあたりのロワール川沿いに、高い屋根をのせた褐色(かっしょく)の古い家がある。この家はまったく孤立していて、小さな町の周囲によくある悪臭ふんぷんたる製革工場とか、安旅館などもこのあたりには見当たらない。〉(引用箇所①、訳者B)
 〈孤立〉や〈周囲〉は、これにならったかのようです。

 「グランド・ブルテーシュ」は4人の邦訳で読めます。前稿で紹介したものを含めて刊行された順で記します。
 A 水野亮訳(初訳1924年、改訳岩波文庫『海邊の悲劇』1934年刊)
 B 高山鉄男訳(『ベラージュ版 世界文学全集』21巻 集英社 1978年刊)の「グランド・ブルテーシュ綺譚」。
 C 加藤尚宏訳(『バルザック幻想・怪奇小説選集3 呪われた子』収 水声社 2007年刊)。
 D 宮下志朗訳(光文社古典新訳文庫『グランド・ブルテーシュ奇譚』 2009年刊)。
 ただしBは「グランド・ブルテーシュ」が組み込まれている中編小説「続女性研究」の全訳です。宮下本解説にこの短編の変転経緯が詳しく書かれています。「続女性研究」に編入されて、サロンでの談話という語りの場が明確になっています。加藤訳はそのニュアンスを出そうと努めているようです。
 冒頭文の字数を数えると、Aは159字、Bは109字、C全体は158字、地の文と引用符を取ると148字、Dが105字になります。〈ありません〉のような口調でないにもかかわらず、Aの長さが目立ちます。

 二つ目の引用箇所はこうなっています。
心をとらえるもの淋しく哀しい想念をいやがうえにも高めようとするかのように、塀には日時計がしつらえられていて、ULTIMAM COGITA〔最後の時を思うべし〕というキリスト教的であるとともに小市民的な銘が彫り込まれている。〉(②ーB)

魂を捉えるもの悲しく甘美な想いを補うように、壁の一つに、ULTIMAM COGITA!〔汝、最後の時を考えよ!〕と、あのありふれたキリスト教の銘に飾られた日時計がついています。〉(②ーC)

 水野訳では分かりづらかったところが、B高山訳では明快です。少々説明的で他に比べ長めですが(訳注を省いた字数、A90字、B100字、C75字、D88字)。〈キリスト教的であるとともに小市民的な銘〉の部分は、C加藤訳〈ありふれたキリスト教の銘〉も十分意を尽くしていますが、これは〈平凡な基督((キリスト))敎式の銘〉にならったように思います(翻訳にあたって、先行訳があればそれを丹念に参照するのは、結構なことだと私は考えています。訳出中は一切見ないという方針も理解出来ますが。先人の業を尊重しつつ、誤りを正し、より良い表現を求め、最上だと思ったものは踏襲する、でいいのではないでしょうか)。

 さて、その後の引用箇所③番は、高山訳が〈塀には龜裂(きれつ)が縦横に走り、〉、加藤訳〈壁には大きな亀裂が縦横に走り〉と、トカゲが出てこないのは宮下訳と同じです。やはりトカゲは慣用表現のようです。(ここを原文に当たって正確に判読するなどという語学力は、とても持ち合わせていません。また一般に誤訳かどうか厳密に判定するには、それぞれの訳者が使った版の原書か、少なくとも校異を詳細に記した校訂版テキストを側に置かなければならないでしょう。私の“翻訳比較”には荷の重すぎることです)

 その先の④番目の引用箇所は、水野訳では分からなかった塩を撒く意味が、宮下訳の注で氷解した部分です。まず高山訳〈いかなる裁判所がこの屋敷に塩をまくことを命じたのだろうか(草木の生えないように塩をまくこと)――神を冒瀆(ぼうとく)したゆえか、〉。これでは裁判所と神の関係が分からないばかりでなく、訳注がさらに混迷を深めさせます。庭は植物が茂るに任せられているのですから。
 加藤訳はこうです。〈どんな裁判所が、この屋敷に不毛の塩を撒くように命じたのだろうか? ――神を冒瀆した者がここに住んでいたのだろうか?〉。高山訳の注を〈不毛〉の一語にまとめて取り入れ、〈ここに住んでいた〉と付け加えて、文語調を口語調に改めています。簡潔な高山訳の方がこの箇所に似合っていますが、解釈につまづく恐れが少ない点では加藤訳がまだしもです。

 先の稿で、引用箇所③に関して水野訳にはいるトカゲが、宮下訳ではトカゲに相当する語がどこにもないと書きましたが、早計でした。宮下訳には④のすぐ先にいました。〈おのずとこうした疑問が浮かんでくるのだが、この廃墟のような屋敷はそのような疑念に答えることなく、ただヘビやトカゲが地面をはうにまかせていた。〉(⑤ーD)
 これが他氏の訳ではこうです。
 水野訳〈――おのづとこんな疑問が浮んでくる。あたりを這ひ廻る蛇は、それに答へようともしない。〉
高山訳〈見ればおのずからそうした疑問がうかんでくるのだが、そんな疑問には答えようともせず、蛇(へび)があたりをはいまわっている。〉
 加藤訳〈と、こんな考えが浮かんでくるのです。蛇は答えようともせずに、這い回っているばかりです。〉
 思うに、宮下氏は原文の慣用表現中にあったトカゲを何とか活かしたくて、ここでヘビと並べたのではないでしょうか(推測です)。それだけではありません。先行3氏に共通する訳文、〈浮かんでくる〉〈疑問〉に蛇が〈答えようと〉しない、というのがいささか唐突で、「?」が頭の中に浮かんできましたが、宮下訳を一読するとすんなり呑み込めます。

 語り手が、元小間使いの宿屋の女中に向かって言う場面、水野訳の〈おいしそうだし〉に驚いたことを書きましたが、高山訳は〈きみなんか若くて、色気たっぷりで、恋人に不自由することなんかないだろうな。〉。加藤訳〈あんたはとても若々しいし、色っぽいから、恋人がいないわけがない!〉。これらを比較すると宮下訳の〈色気もあるから、恋人に不自由するはずがない〉の部分は、高山訳を参照しています(水野訳、高山訳を参照したこと、ご当人も断っています)。

 「グランド・ブルテーシュ」を面白く読んだ人なら、これを組み入れた「続女性研究」にも関心を抱くことでしょう。その唯一(だと思います)邦訳は加藤氏のものですが、正直、この訳文がなかなかの難物です。たとえばこんな具合です。
あの冷ややかな贅沢の閲兵式、あの盛装した自惚れたちの行列の大夜会は、他国を〈機械化〉することを目指すイギリスの発明の一つである。イギリスは、社交界全体がイギリスみたいに、またイギリスと同じ程度に退屈することを切望しているかのようである。
 これは、こういう意味でしょうか。〈贅を尽くし、きらびやかに飾り立てた自惚れ者たちがしゃちこばって行進する、閲兵式のような大夜会は、他国まで〈機械化〉せずにはいられないイギリス人の発明に掛かるものである。彼らは、社交界全体を英国風の、英国並みに退屈なものにするのが使命、と心得ているかのようである。〉(断っておきますが、和文和訳です。〈機械化〉はもっと適切な語があると思います)。
 加藤訳、このつづきはこうです。
この二番目の夜会は、そんなわけで、フランスの家々において、われわれの陽気な国の昔ながらの精神がしめす巧みな抗議なのである。しかし不幸にして、抗議する家は少ししかない。その理由はいたって簡単である。つまり、今日、夜食をとる人があまり多くなくなってきているのは、いかなる治世下でも、革命が合法的にくり返されたルイ・フイリップ治世下におけるほど、身分が確立し、高い地位についた、成り上がりの人たちが多くいはいなかったということである。〉(p226)
訳書に付いた紹介でみる限り、バルザック学の偉い先生のようですが、翻訳はお得意でなさそうです。参照できるものがある箇所はまだしも、なんです。

 水野訳のいささか古めかしく、ところどころで意味を了解しにくいが、味わいのある訳文。語学的、文化的に研究を進め、現代的な日本語にした宮下訳。この二つがやはりお勧めです。高山氏は宮下氏の学生時代の恩師、この作をテキストにフランス語を習ったことは前稿に書きました。その訳文中のバルザックは現代風に衣替えしましたが、まだもの足りぬように思います。加藤訳は語り口調を出そうと努めていますが、「グランド・ブルテーシュ」の部分全体が一段落で改行がないこともあって、読みよいといえません。

 最後に、宮下訳が水野訳に似ていると指摘したラストの一行についてです。高山訳は使用している単語が水野訳と全く同じ、語順だけが違います。加藤訳は文末を先行二者と変えようとしたのですが、ウ~ン……。
                    (2013年1月19日)
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